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  • 2009.02.19 Thursday
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青春の後ろ姿を人はみな忘れてしまう 〜6.20みちのくプロレス後楽園大会観戦記

みちのくプロレスは不思議な団体である。
ファンを夢中にさせた選手が次から次に去っていくにもかかわらず、気がつけば別の選手がその穴を埋めている。
そんなことを繰り返す一方で、かつて砂をかけて出て行った選手の出戻りを受け入れたりする。

そんな故郷のような温かさを持つかの団体は、今年で創立15周年を迎えた。
それを記念して行われた「ノスタルジックツアー」は、かつてみちプロで一時代を築いた選手が集結して懐かしい試合を見せるというのがメインコンセプト。
後楽園は超満員。
が、観客の顔を見れば30代〜40代のおっさんばかり。
みちのくプロレスのノスタルジーは彼ら自身の青春ノスタルジーでもある。

すっかり世代も選手も様変わりした今のみちのくだが、今日ばかりは次から次に懐かしい顔が出てくる。
リングアナは赤いネクタイの篠塚誠一郎。
レフリーはテッド・タナベ。
つぼ原人vs珍念。
勢ぞろいしたデルフィン軍団。
浪花、珍念、おまえたち今普段は何やってんだ。
久々に見たのに変わらないグラン浜田にマッチョ・パンプ。
もう何度目のリバイバルだろう、海援隊☆DX。
そしてSASUKE組。

私はSASUKEに対していまだ複雑な感情を持っている。
SASUKEの暴走がもとで起きた99年1月のデルフィンを始めとした大量離脱、いやみちのくプロレス分裂劇はまぎれもなくみちのくプロレス15年の歴史の中で最大の悲劇だった。
自身のプライベートを暴露され激怒するデルフィンに対し「俺たちはプロレスラーだよ!俺たちにはプライベートなんかありゃしないんだよ!」とSASUKEは怒鳴った。
盛り上げるためにはどちらが正しいかなんてどうでもよかった。
私たちはただ、二人がリングで熱い試合をしてくれればそれでよかった。
虚と実、ガチとヤオの間をたゆたうプロレスにあってSASUKE、いやサスケの虚はデルフィンの実であり、デルフィンの虚はサスケの実であったのだろう。
「みちプロを盛り上げるために」という同じ思いをもって行動したはずの二人は結果的に真逆の方向に走り出し、気がついたときに二人の間には埋めようもない距離ができていた。
離脱記者会見場で「もう二度とみちのくのリングに上がらないってことか!」と気色ばむサスケに視線を合わせないまま「そういうことだ」と答えたデルフィンの涙腺は決壊寸前だったのに、直後号泣したのはサスケの方だった。
泣き崩れるサスケを同じく不仲説が言われていたテッド・タナベが介抱する、あの場面を思い出すだけで今でも胸の奥がチクチクする。
SASUKEは私が愛したみちのくプロレスを一度は叩き壊した張本人である。
あれからずいぶん時間が経ったが、私はあの青マスクを見るといまだ腹立たしいような胸がつまるような、そんな感情が今でも沸きあがってくる。

復活SASUKE組には望月成晃が入っていた。
当時SASUKE組の主なメンバーはサスケ・ザ・グレートとクレイジーMAXで、望月はオマケのような扱いだった記憶があるのだがこの日リングに上がった中では一番風格があった。
これは対戦相手の海援隊にしても同様で、当時一番下だった獅龍が今では一番上のように見える。
10年という月日はそれだけいろんなものを変える時間である。


試合はみな一生懸命やっていた。
懐かしいムーブも多々あった。
しかし、一生懸命やることと、ベストのパフォーマンスができることは別である。
ブランクはどうしても変な間を生み、かつてはピシッピシッと決まっていた動きが同じようには決まらない。
仕方ないさ。
今は一緒にやってないんだし。
みんな年をとったんだし。
この15年の歴史に少なからずコミットして消えていった、懐かしくも思い出深い選手が次から次へ登場する様を見ながら、”走馬灯のように”というのはこういう感覚だろうか、と考えていた。
不吉な表現かもしれない。
けれど、ここまで徹底して後ろを向いた興行を見るに目の前のリングが銀幕のエンドロールと重なったことだけは否定できない。

家に帰って、売店で買った「みちのくプロレス ノスタルジック15年史」というDVDを少しだけ見た。
「1993年、東北に初めてプロレス団体が誕生します!」と宣言するサスケの声は今よりいくぶん高い。
東郷いやSato、TAKA、テリー・ボーイ、人生、みんなまだ兄ちゃんだった。
彼らは何もなかった。
何も無かったからこそ、毎日できることを必死で続けた。
そして彼らは他のどこにもない、素晴らしい空間を作り上げることができた。
若者は何もないからこそ、新しいものを作れるのかもしれない。
当時二十代前半の坊やだった彼らは、今や不惑を迎えようかとする中年である。
十八歳だった私は、来月三十四歳になろうとしている。
誰もあの頃には戻れない。

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