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  • 2009.02.19 Thursday
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記号論としてのプロレスの行き詰まり 〜5.6DDT後楽園大会



DDTの関係者に仕事で世話になったという知人に誘われて観戦。
新木場の定期戦とかだと実質100人ちょっとしか来ていないという話だったが、連休の間というのも幸いしたのか後楽園ほぼ満員だった。

もっとも、よく見ると東西のイス席が他団体に比べて少なめに…じゃなかった、余裕をもって配置されていたり、北側席の半分以上をスクリーンで閉ざしたりしているので他と単純比較もできないが。
まあ生活の知恵みたいなもんだろう。

DDTは会場にビジョンなりスクリーンを用意して、試合が始まる前に「これまでの流れ」みたいなVTRを流している。
いわゆる煽りVであるが、これは良い。
たとえ選手がわからなくても、「なんでこういう試合が組まれているのか」を説明してくれると試合に入っていきやすい。
ドラゲーもこういうのをやってほしいもんだ。

で、そこまでやっているのにかかわらず、なんとなく全体に白けたムードがある。
もちろん部分部分では観客の熱狂を呼ぶものはあって、たとえばこの日巨漢のKooと闘って圧倒的劣勢を強いられたアントーニオ本多が延髄斬り→腕固めでレフリーストップを奪った番狂わせであるとか、ゲストで登場した獣神サンダーライガーと飯伏幸太のハイレベルな攻防とか、シークレットゲストとしてメインの5WAYマッチを途中から裁いた和田京平の登場とか、そこそこ沸く場面はあった。
が、あれだけ会場に人はいるのに会場全体が一つになって入り込むことような空気はなく、団体の売りであるはずのメインイベントでもそれは同様。
どこか白けて見ているムードがある。

印象的だったのはメイン前の煽りVで、試合中の不正行為が予想されるメタルヴァンパイア(ヒール軍)に対して正規軍の結束を呼びかける矢郷良明に高木三四郎がこれはタイトルマッチなのだからそんなことばかり言ってられないと反論すると、矢郷は高木を殴打する。
それでも納得しない高木に再度矢郷が手を挙げると、高木は「ぶったね!二度もぶったね!親父にも殴られたことがないのに!」とどこかで聞いた台詞を吐き、会場はこの日一番沸いた。

問題は試合でこれを上回る歓声を引き出すことができない点にある。
かつて、試合中の言葉のやりとりなどで客席を沸かせることが「口(くち)プロレス」と呼ばれ蔑まれていた時代があった。
しかしDDTでは「口プロレス」こそが会場を沸かせている。
そうなると今度は「なぜプロレスの試合をしているのか?」という疑問が出てくる。

もうひとつ印象に残ったのは、前座の男色ディーノ、マサ高梨組とKUDO、ヤス・ウラノ組によるタッグマッチである。
試合前、ディーノがKUDOらに小瓶を見せ、これは象をも倒す強力な下剤であり、お互いこれを飲んだ上で勝った方があそこにある下痢止めの薬を飲むことができるという試合はどうか?と持ちかける。
ディーノと高梨は先に自分たちで下剤を飲み意気込みを見せるが、KUDOとウラノはまるで話そのものを聞いていなかったように普通に試合を始めてしまう。
そして開始からまもなくディーノと高梨は腹が痛いという素振りを見せ、交互に試合中にトイレに行き、半脱ぎのタイツ姿にわざわざトイレットペーパーまで持ってきてヒップアタックをしたり、排泄物がタイツの中に存在するかのようなムーブをする。

ディーノたちが飲んだのが本当の下剤であるとは、おそらく観客の一人として思っていない。
ここで推奨されるのは「そういうものを飲んだ」と見なしてその上で「あーあー大変だね」と見なしてやる、そういう観戦方法である。
だが記号としてしか認識されないギミックはギミックの役割そのものを無意味にさせる。
ここに至ってリングの上ではディーノの下剤とメタルヴァンパイアの蹂躙も地続きになってしまい、女性である浅野レフリーがリングの上で屈強な男たちに暴力を受けていても「あれもネタなんでしょ?」という麻痺が観客に起こる。

プロレスに限った話ではないが、スポーツを含めたショービジネスにとってもっとも観客の熱を引き出させる方法は見る側に感情移入させることである。
サッカー日本代表があれだけ観客の熱を集める理由は、ほぼ観戦者のすべてが「日本代表に勝ってほしい」という思いを共有していることにある。
従って日本代表が劣勢になれば大きな声が出るし、得点を入れれば狂喜する。
プロレスは長らくこのシステムで繁栄してきた。
街頭テレビの力道山から始まって、ブッチャーの悪行に耐えるテリー・ファンクからアントニオ猪木、前田日明、大仁田厚まで時代と人によって提供するテーマを変えつつ「観客に感情移入させる第一人者」であり続けた。

ところが21世紀に入りプロレスという手品のタネが明かされるようになると、多くのプロレスファンが「なんだ、タネがあったのか」と離れていった。
代わりに入ってきたのは「ネタとしてのプロレスを見る人たち」である。
彼らはプロレスにタネがあるのを百も承知で見ている。
が、彼らはもう感情移入してくれない。
当事者としての生理学的な反応を避け、「こういうネタか」とメタな視点でしか見てくれない。
そんな人が何人いたところで、かつてのような反応は返ってこない。

本当はプロレスに限らず、世の中の大半のものはネタとガチの間を行ったりきたり浮遊しているのだが、そのような曖昧な態度に彼らは耐え切れない。
「どっちかに決めてくれ」と決断を迫る。
二者択一は人類の歴史でもっとも人気のある提示方法である。

DDTには西加奈子の「こうふく みどりの」に出てくる、アンドレ・ザ・ジャイアントに延髄斬りを決めるアントニオ猪木を見て明日も頑張ろうと考える、そんな昔みたいなファンはまずいない。
にもかかわらずリング上のメインストーリーで展開されるのは悪辣なヒール軍団とそれを迎え撃つ正規軍というクラシカルな図式である。
少なくともこの団体においてはヒールの悪行に本気で憎悪しベビーの正規軍に感情移入するのは難しい。
みんなこう思っている。
「だって、仕事でヒールやってるんでしょ?」

マッスルがあれだけ人気を博したのは、古典的なヒールvsベビーの図式から脱却し「なぜ我々は闘っているのか?なぜ我々はプロレスラーなのか?」という提示が恐ろしくリアリティあるものだった、という点も大きいと思う。
DDTから誕生したマッスルは、DDTへの最大のアンチテーゼなのかもしれない。

それとも、客がこうして入っている以上ニヤニヤ見ようが反応しまいがこれが正しいのだ、これが21世紀のプロレスなのだ、という解釈もあるかもしれない。
けど、それって面白いのかな?
感情移入して見る事が最大の娯楽だと信じてきた私からすると、それはまるで理解がつかない世界なのだが。

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